シビリアンコントロールとは?文民統制って何?簡単な解説と実例紹介

シビリアンコントロール

「シビリアンコントロールの観点から云々」と最近よく耳にする様になりましたが、一体何のことなのでしょうか。

今回は防衛省の問題が発端となり与党内でも取り沙汰されていますね。

陸上自衛隊のイラク派遣時の日報が見つかったことが問題となっていますが一体何が問題なのでしょうか?

日報の数も410日分ということで、追加で南スーダンのものも新たに見つかったようですね。

見つかったとか発見とかよく意味がわからないことも多いですが、簡単にまとめてみましたのでみていきましょう。

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シビリアンコントロールと防衛省の問題

そもそもは防衛省が存在を否定していた文書が実は存在していたのですね。

しかも、その事実は陸上自衛隊の内部ではとっくの昔(昨年の3月)には判明していたのです。稲田さんも本当に何も知らなかったようですね。

自衛隊は軍部ではありませんが、自衛隊の情報が外に出ることなく、秘密裏に内内で処理されることはとても危険な事です。

その様な体質も問題ですし、内輪の話だけで済まさせてしまう体制も問題です。

「日報」の存在に関しては、防衛相への報告が大幅に遅れたことは重要視し過ぎてもし過ぎることはないことですし、文民統制の観点からもあり得ないことですし、あってはならないことです。

防衛省は説明責任?経緯はどうなっていたのか

シビリアンコントロール

問題点は大きく二点ではないでしょうか。

  1. 文書管理が杜撰であること等の認識の軽薄さ
  2. 軍事力が独り歩きをしてしまう恐れがある
  • 文書の管理
  • 報告のあり方

文書の管理はどうなっていたのか。また報告がなぜきちんとできないのかなどを念頭に抜本的に見直す必要がある事は否めないでしょう。

武力を保持していますから、独り歩きさせてしまう環境ができてしまう事は危険ですよね。

そもそも文民統制とは何なのか

文民統制はシビリアンコントロールですがもう少し雰囲気をつかんでみましょう。

シビリアンコントロールとは、そもそもは軍部に権力が集中する危険を避けるためのものです。

1つ例を挙げてみましょう。

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劉邦と韓信にみるシビリアンコントロール

中国の漢の時代を築いた王に劉邦がいます。

劉邦には韓信という優れた将軍がいました。将軍というと軽いですが軍師であり戦争の天才です。

麻雀の役満手に国士無双がありますが、この国士無双の言葉は韓信に向けて作られた言葉ともいわれています。二つとない逸材という意味ですね。

国士無双の戦により劉邦を王にまで押し上げた当の韓信は劉邦から遠ざけられていきます。

中途半端な左遷などではありません。不遇も不遇です。

韓信は卒の将。劉邦は将の将。

有名な言葉ですが、この言葉が韓信から劉邦に話された言葉であればなるほど不気味かもしれません。

劉邦を勝たせるために韓信は軍を増強させます。軍を自由自在に操る事ができた韓信に対して恐れをなした劉邦は疑心暗鬼を膨らませ、最終的には劉邦の死後に劉邦の妻であった呂后にあっさりと殺されてしまいます。

 

虫けらの様に殺されるのです。

蕭何(物資の輸送の天才)にその才を見出された韓信でしたが、蕭何の謀計によってあっけない最期を迎えるのです。蕭何の謀計といっても呂后の気持ち一つの話ですので、必ずしも蕭何が悪者であったとは言えません。

韓信が好きな人も多い様に蕭何を好きな人も大勢います。わたしは二人とも大好きな歴史上の人物です。

韓信は劉邦のための戦争を繰り返し勝利をもたらします。

その軍事力に恐れをなした劉邦は韓信を遠ざけます。そして、劉邦の女房であった呂后によって殺されるのですね。

時代も時代ですので王といえども軍事力を持った1将軍に寝首を刈られることだってあります。

なぜなら、

将の将である劉邦卒の将である韓信

この様な矛盾が生じてしまうからです。

本当であれば

将の将である劉邦卒の将である韓信

この様に将の将の方が権力を持っているはずですが、実際はいざという時の力がないのですね。

卒の将として軍を実際的に思い通りに指揮することができる方が強くもなるのです。

この恐れを払拭するためには軍部をしっかりとコントロールしておかなければなりません。クーデターが起きる時も、軍に影響力を持つ一人の指導者によることも少なくはないのです。

現代で考えてみましょう。

立法府がしっかりと管理と監視をしていなければ軍部は独り歩きをはじめてしまいます。

もちろん、良いはずがありません。

これが民主主義国家であれば主権は在民な訳ですから国民一人ひとりに軍部をコントロール必要があるということになります。

とはいえ、国民がみんなで!とはいきませんね。

そのために、選挙があります。

シビリアン・コントロールの主体は議会や国会がとなり、その主体はまさに国民一人ひとりとなる訳です。

国民が立法府に位置するのですね。

これが実行できていれば健全で、機能していないようであれば危険なわけです。

どこまでいっても国民が軍を動かしているという状態が機能していないといけない訳ですね。

もちろん、自衛隊は軍ではありませんがまどろこしいので、ここではあえて軍と表現しておきます。

もう少しまとめてみます。

民主主義国家において

  • 軍事<政治優先
  • 軍事力<民主主義的統制

これが健全な形です。今回のケースはどうでしょうか。見てみましょう。

今回のケース

防衛省の国会答弁

陸上自衛隊のイラク派遣時の日報の存在を完全否定!!

⇒しかし、日報があったことが発覚

今回は防衛省と陸上自衛隊の見解が全く異なる結果となりました。

問題点は二重の責任

単純な誤りとは到底言えない類の問題です。

それは、次のことでわかります。

国民の代表である国会に正しい事実を報告しなかったこと

⇒国民をだますに等しい行為

「あるものをないと言って、うそをついていた」ことになる

陸自が日報の存在を防衛相に報告しなかった

しかも、その期間は昨年3月からの約1年間。

防衛相の答弁:「残っていないと確認した」

答弁が事実とは異なり食い違っていたことを、知っておきながら陸自は放置し続けてきたんですね。

横目で知りながらもシラコイ対応をしていたのです。稲田さんの「日報は存在しません!」に対して

“本当は存在してるんだけど、言いにくいな。言わなくてもバレなければALL OK!!”

で、結局はバレまくったのです。

このことから、「二重の責任」

が問われているのですね。

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今後必要な対応

  1. 徹底した真相究明と説明責任を尽くすこと
  2. 速やかな組織体制の構築

今回の日報の話は行政情報となります。

行政情報は国民の資産とも言えます。その性質上、「国民の知る権利」を満足させなければならないものです。

民主主義の基本ともいえるんですね。

このため、国民から情報公開請求があれば、公開するのが原則となります。

行政側の都合で恣意的に変更することは許されることではないのです。

これらの意味を考えるなかで文民統制は別の呼び方もされます。

政治的統制、民主的統制などとも呼ばれます。

今回のケースでいえば、国民が主体となっていない事実が出来上がってしまった。

しかもその上で虚偽の発表を間違っていると知っていながら看過していたのですから罪深いですね。

罪深いで済まないのは陸自の持つ性格にあります。

これがケン玉を扱う部署なら問題もそこまで大きくはならないでしょう。

持ち物は武器なのです。

シビリアンコントロールができないのであれば、自衛隊そのものの存在さえ危ぶまれる大きな問題を帯びているのが今回の一連なのですね。

自衛隊はあくまで国民主体の元のシビリアンコントロール下にあって、それを監視しているのも国民一人ひとりなのだと今回の件で啓蒙する事と同時に知っていく事が重要ではないでしょうか。

簡単ですが、最後までお読みいただきありがとうございました。

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