
奇跡体験!アンビリバボーで筒井宣政さんが紹介されましたね。
「娘の命を救いたい」
娘さんの心臓病を治したい一心で、医療に関しては、ズブの素人だった筒井宣政さんは人工心臓の開発に挑戦します。
「現代の医学では手術は不可能」
日本だけでなく、海外でも診断を宣告されていたためです。
動物実験まではいったものの、時間や資金の壁に当たり、開発を断念します。
そこで、目を向けたのがIABPバルーンカテーテルでした。
当時はアメリカ製のものしかなく、日本人の心臓のサイズには合わないものだったのです。
そのため、合併症を引き起こすなどの事故や多くの問題を抱えてました。
会社を設立して8年後、IABPバルーンカテーテルの国産化を果たし、世に送り出します。
娘さんの心臓病を救うことはできませんでした。
しかし、今では12万人もの命を救うこととなったのです。
「一人でも多くの生命を救いたい」
人を救うことで数多くの受賞をしていますが、全てが1人の命を救う思いへの感謝の表れです。
そんな沢山の感謝で溢れた、筒井宣政さんの受賞歴をみていきましょう。
年齢と出身大学、経歴も紹介します。
筒井宣政さんの出身大学と経歴?
フォーム工連 「平成29 年新春講演会」を開催 「娘が遺したものづくりの心」筒井宣政氏 https://t.co/nPNIJmOXpR pic.twitter.com/EeAvOmwU24
— プリント&プロモーション印刷販促ニュース (@p_promcom) January 31, 2017
娘さんのために自らが研究開発に挑むといったことは、通常では考えられませんよね。
もともとの頭のできが違うの?
野暮なことを考えてしまいそうですが、全ては1つの命のために必要に駆られた智慧の結晶なのですね。
“ゼロから医療現場に飛び込んだ町工場のオヤジ”とも表現されていますが、どの様な経歴を歩まれたのでしょうか。
筒井宣政さんのプロフィール
名前:筒井宣政
年齢:1941年
出身地:名古屋
出身高校:東海高校
出身大学:関西学院大学(昭和39年3月卒業)
昭和39年4月: 東海高分子化学株式会社入社
昭和56年10月 株式会社東海メディカルプロダクツ設立(現会長)
筒井宣政さんの出身大学
筒井宣政さんの出身大学は関西学院大学経済学部です。
学部は理系ではなく、文系の経済学部を卒業されているのですね。
卒業は昭和39年3月のことです。
卒業後は東海高分子化学株式会社に入社し、会社を受け継ぎます。
東海高分子化学の事業内容
東海高分子化学の事業内容は次の通りです。
事業内容:プラスチック押出し成形加工
- ストロー
- パイプ
- テープ
- ホース
などの製造販売を行なっていました。
受け継いだ当時は借金の山だったようです。
また、紐関係の製造に精通していることから、アフリカの女性向けに、“塩化ビニル製の髪結いひもの販売”などし、単純計算で、72年ほどかかるような借金を、わずか7年でを返済し終えます。
数年で、年商を2~3倍にまで増加させているのですから、商才にも長けているのですね。
その上で、借金苦にも動じずに、真っ向から挑んで完済されているのですから、アイデアと根性とが備わった方なのでしょう。
この時に、カテーテルに通じるトローやパイプ、テープ、ホースを扱っています。
管(くだ)の商品を扱っているとはいえ、医療用品のカテーテルの開発に挑むのは全く別の次元の話です。
文系からの研究開発は非常に大変だったようで、何度も失敗を重ねてこられたのです。
筒井宣政さんの受賞歴
平成12年:科学技術庁長官賞受賞
平成14年4月:黄綬褒章受章
平成21年:薬事功労者として愛知県知事表彰
平成22年:薬事功労者として厚生労働大臣表彰
平成23年9月:高分子学会平成23年度フェロー受賞
平成23年11月:旭日双光章受章
平成28年6月:日本代表EYワールド・アントレプレナー・オブ・ザ・イヤーに日本代表として出席
→起業家の努力と功績をたたえる国際的な表彰制度で後継のアントレプレナーの啓蒙の意味もあります。
個人での受賞以外でも、会社として数多くの賞を受けています。
沢山の感謝をされていることがお分かり頂けますね。
筒井宣政の変化をもたらした娘さんの存在
一流の経営者は感謝の心が常にあるものなのでしょうか?
筒井宣政さんのこれまでのインタビューなどを見ましても、多くの感謝の気持ちで溢れています。
“医師や医療機関、国や県などのさまざまな機関、協力企業、そして社員の方々などの支援のたまものと感謝”
そんな筒井宣政さんも、以前は、「金儲けのために働く金の亡者」であったと自分のことを振り返ります。
そして、それは娘さんの言葉で変わっていくのです。
「金儲けのために働く金の亡者」
↓
「いい製品をつくって、人の役に立つ」
このような変化があったようです。
謙遜もあるのでしょうね。
「お父さんとお母さんが自分の病気のために、人の命を救うような器具をつくってくれたことを、佳美はすごくうれしい」
- 全国をずっと回っていました
- 年に800~1,000本ぐらい売るまでは一人で営業していました
- つくる方も一人でやっていました
- 経理から何から全部やっていました
経営者である筒井宣政からすれば、「売れた」との気持ちがどうしても先に立ってしまいます。
娘の佳美さんに、新たに売れたことを報告すると、
「ああ、お父さん、また一人の命を救うことができたのね」
いつもこんな言葉が返ってきたそうです。
“良い物を作れば信用され それがやがて利益に繋がる”
「一人でも多くの生命を救いたい」
現在の会社にも伝わるこの思いは、娘の佳美さんの気持ちが引き継がれているのではないでしょうか。
これからもさらに多くの病と闘う方を救っていくのでしょう。
新しい開発もされています。その規模はさらに増していくことでしょう。
筒井宣政さんと、それを支えてこられた奥様とご家族のこれからのご健勝とご多幸お祈りします。
最後までお読み頂きありがとうございました。