大相撲での女人禁制が問題視されています。
ニョニンキンゼイって読むんですね。
一体何が問題なのでしょうか?
大相撲においては伝統に反するとの話もありますが、その理由には諸説あるようです。
土俵が穢れるから。女性が土俵に入ると危険だから。土俵の神様が女性のため、他の女性が土俵に上ると嫉妬してしまうから。
この様に様々な説と理由があるようですが、どれも面白いものばかりですね。
さて、今回は女人禁制のしきたりがあるスポーツなどをまとめて紹介します。
まずは大相撲から見ておきましょう。
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大相撲が女人禁制の理由や起源は?

大相撲の起源はいつなのでしょうか?
少なくとも相撲の起源を繙きますと、、『日本書紀』巻第十四の時代まで遡ります。
「相撲」との言葉が明記されているのです。
女性の特権として相撲があったというよりは男性に強制されて楽しまれたとも受け取ることができるようですね。
現代でいえば女子プロレスの様なイメージでしょうか。女性の格闘を見せ物として楽しむ欲求の存在が指摘されます。
今から1600年程度前のお話です。
時代別に見てみます。
- 469年 日本書紀では女相撲の存在の記述も
- 712年 古事記
- 720年 日本書紀
- 鎌倉時代―戦国時代
鎌倉時代には武士の訓練として相撲が執り行われました。
非常に盛んにおこなわれた様です。
江戸時代(1744年頃)
女相撲が全国で興業として行われました。
盲人男性VS女力士などの見せ物としての相撲がある中で、純粋に技能に対しての目も向けられていきます。
江戸や上方で多くの資料があることから、全国的な興業としての女相撲が行われ、女力士が存在していたことがわかります。
当時の女相撲への見方は二分します。
- たくましさや力強さを肯定する
- 女性らしさの欠如を否定する
この様に評価は分かれた形で言説として残っているのです。女性が相撲をとることに対する卑猥性への否定というよりは専門的な職業的技能者として捉えられており、一つの職業としての認知もあるようです。
明治・大正の女相撲
明治時代では新政府が誕生します。
このタイミングで風俗慣習にたいしても新秩序が持ち込まれます。
裸に対する規制も厳しいものとなり、見せ物としても一時期は処罰の対象ともなります。興業に対して厳しい規制がかけられ、女相撲に対しても厳しい目が向けられるのです。
その後は法改正により、女相撲興行の禁止も解けて一定の地位を確保するに至ります。
条件がいくつか設けれられるのですが、現代に通じるものと考えられるでしょう。
具体的な女相撲の条件は以下の通りです。
江戸時代 |
明治期 |
裸にまわし |
シャツ・パンツの上にまわし |
裸にまわし姿からシャツとパンツを着用したうえからの回し姿に変わります。
大きな違いですね。
たったこれだけですが、服装の違いにより、積極的に女相撲が興行として行われるようになるのです。
明治23年(1890)11月には東京両国回向院境内で興行が開催されます。
当時の新聞でも大きく取り上げられているのですが、この時には男性の大相撲と女性の相撲への扱いは同列に扱われています。
女相撲が市民権を得た時代とも言えるでしょう。
女性相撲に対しては容姿などのいわゆる見た目が重視されることもありましたが、それだけではなく、相撲や力技や技量から取り組みの内容も注目されています。
歌舞伎とも同列に位置するものとして扱われています。
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昭和の女相撲(戦前)
昭和に入るとこれまでの女相撲の歴史がごっちゃになります。
盲人との対決などの歴史と技能や取り組み内容を楽しむ女相撲が一緒くたにみられるのです。
昭和に入って「これまでの歴史を繙いてみると女相撲は一体なんだったのか」との議論は当時もあるのですね。
裸体でやっていたのだからもともと問題があるものだとする意見や、女相撲の目的は裸体を見せることにあって、あるいは視ることだなどの意見が大きな影響を持ちます。
いつの時代でも起源や原点や目的を考えるのですが、一部の歴史だけを切り取ってみることで真実が覆い隠されてしまいます。
少し前までの女相撲への認識が歪められて女相撲の地位まで下げてしまうのです。
同時代には女相撲によって雨乞いが行われていたりと、神事として女性が相撲をしていたこともあるのですが、地方の民俗的な慣習よりは杓子定規に「女相撲は〇〇」とための論議がまことしやかに影響を与えていきます。
戦前で男性の強い時代ですので、女性蔑視の風潮も強かった時代です。
男性優位で戦争礼拝の時代には必要な意識統制だったのかもしれませんが、女相撲への認識が一方の味方に偏り歪められた時代とも考えられますね。
「女相撲は裸を見せたり見たりするのが目的でしょ」
「だから卑猥なことなんだぜ」
昭和の女相撲(戦後)
この時代にはまた新しく様々な女相撲観が語られます。
戦後ということもあり、少し自由な見方がされる様になります。
この時代には、、「女闘美」メトミといわれ女性の相撲が魅せる特有の美などにも目が向けられ論じられています。
加えて、これまでにもあった卑猥性も語られますが、批判的というよりも、エロティシズムやサディズムやアゾヒズムなどの言葉と共に性的な要素をより細分化して理解していこうとする姿勢が見受けられます。
女性が相撲をとることは、フラットな目で見ることに困難さを伴うことは否めないのかもしれません。
しかし、否定的な感情や思いをきちんと言葉として置き換えて肯定的に捉える傾向が強いのが昭和の後期なのではないでしょうか。
昨今の大相撲の女人禁制

1978年の女人禁制
わんぱく相撲東京場所において、予選を勝ち抜いた10歳の女の子が国技館の土俵に上がることができませんでした。
国技館の土俵に上がれないと知ったのが後の事ですからショックだったでしょうね。最初から教えておいてあげないといけませんね。
もしかしたら、知らないふりをして国技館の土俵に上がれるかもしれない可能性に掛けていたのかもしれませんが、いずれにしても土俵に上がる事は叶いませんでした。
1990年の女人禁制
森山真弓官房長官が大相撲にて総理大臣杯を首相の代理で渡すことができませんでした。拒否をしたのは相撲協会です。
一国の首相の代理であっても、女性というだけで土俵に上がることは許されないのです。
2000-2004年の女人禁制
五年連続で相撲協会に拒否されたのは当時の大阪府知事だった太田房江さんです。
3月に開催される大阪場所の優勝力士に知事賞を渡したいと再三の要望をしますが5回連続で拒否をされます。
毎年毎年断られるのですから大変ですね。
2010年の女人禁制
元大関の千代大海が断髪式に母を招待しました。
お母さんは土俵に上がることはできず、土俵の下に千代大海が下りて断髪式を行いました。
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昨今の大相撲の女人禁制の理由
女性が穢れているとする説
かつては女性はけがれているとされていたため、神聖な土俵に上がるのは禁忌となったとの説です。
神様が女神で嫉妬してしまう説
五穀豊穣を願った男の力比べの様を女性の神様に捧げるのが目的する説もあります。
女性が土俵に上がると女性の神が嫉妬してしまうことから女人禁制となったのです。
女性が土俵に上がった例も
女性力士の歴史
かつては女性歴史の時代がありました。
女力士の頂点に三年で上り詰めた大関の若緑1936年の頃の話です。
40歳の時に引退をします。
「若緑 日本一」
高砂親方が土俵に上げました。
私が責任を取るとの話の元で土俵にあがるのです。
女力士は全国各地や海外でも人気を博していたのです。
1934年頃ですから、たった60年程度以前のお話ですね。
土俵の上での挨拶をとの勧めもあり、土俵に上がった大関若緑は次の様に語っています。
「土俵に上がったのは私一人だと思うけど上がったときにここは女が上がるようなところではないと土俵の神様に言われたような気がしてね。
もう二度と上がりたくない。」
こんなことを言っています。
大相撲の女人禁制の根拠は?
女人禁制については、その時代時代によって見解や捉え方が違います。
時流で変化しているのです。
その時流もその時代に発言力のある人間が、永い歴史の中から都合の良い言説を持ってきて利用しているのです。
江戸時代や明治時代でも違いますし、昭和に入ってからでも違います。
微調整って大切ですが、基礎のない微調整ほど恐いものはありませんね。
伝統であれば大切なのでしょうが、伝統自体が時流によって簡単に変化することのようですので、今の時代は今の時代で伝統を新しく作ってみてはいかがでしょうか?
「大相撲の伝統は、伝統を時流に従ってもっともらしく、こさえること」
「女人禁制は時代時代の発言者のパワーバランスによるもの」
この様に捉えれば、主権在民の時代ですので、大相撲ファンや大相撲が気になる人、または時流に沿った改革をしていけばよいのではないかと思います。
ちなみに、女人禁制については各種スポーツなどでもありますので併せて見ておきましょう。
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様々な女人禁制
梨園の世界
歌舞伎役者として女性は必要とされません。
梨園だけで言及すると少しややこしいのですが、梨園と認められれば今は梨園ですね。
出雲の阿国なんていっていましたから、源流を辿れば女性がはじめたものとも言えますが、今は女人禁制です。
寺島しのぶさんが跡を継げないことから女優の道を選択して成功したことは有名なお話です。
ゴルフ会員
一時期問題になりましたね。
オリンピックの開催国になるにつけて、ルールを変更するゴルフ場もあるようですね。
すぐに対応もできずに時間が経過してから変更する所なんて、特に信念がブレぶれですね。
何が紳士のスポーツなのか、格式あるゴルフクラブなのか、チャンチャラおかしい限りです。
名門であればあるほど、簡単にルールを捻じ曲げることで、その格のお粗末さが証明されることでしょう。
甲子園
高野連の大会資格規定に明記されています。
男性の特権が高校野球です。
今や、坊主頭がコスプレとも酷評されていますが、当事者達はすんなりと受け入れいています。
丸坊主にすることでの機会損失や人材の損失はいか程なのでしょうか?
どなたか、丸坊主における日本野球界の機会損失論でも書いて頂けないでしょうか。
最近の甲子園にまつわる女人禁制にまつわるお話は以下の通りです。
1996年代78回夏の大会
女子マネジャーのベンチ入りが許可
2016年
手引きには明記が無かったことを根拠として理解した監督がマネージャーを入れます。
高野連の大会資格規定に明記されていたのですが、手引きにはないからとのことだったのですが、確信犯的に実施したのかどうかはわかりません。
知ってわざとやったのであれば粋なはからいですね。
2017年
ヘルメットを被ればグラウンドには入れる!
ただし、条件があって、1,3塁の人工芝ならOK!
インフィールドは入ってはいけない訳ですね!
始球式はアイドルでも行っていますけれども、これはなぜ良いのでしょうか。
闘牛士
こちらはスペインのお話です。
スペインでも女性の参加が認められていませんでしたが、女性が権利を勝ち取りました。
1934年に女性闘牛が公式に復活しています。それまでは、たとえ女性闘牛士として闘牛場に立つ機会があっても、色物的存在として扱われていたのです。
権利を勝ち取る歴史というのは日本よりも海外の方が活発にみえます。
海外でも結構多く、女人禁制のものが散見されます。
まとめ
女性が都合よく時代に翻弄されているのは不憫なことです。
ほしい時には利用されて、いきなり必要がなくなる。
そんな歴史を繰り返しているように見えます。
二乗不作仏とか女人不成仏なんてありましたが、今は末法ですのでそれも通じませんよね。
伝統が人を大切にして育むものならよいのでしょうが、今の時代はどうなのでしょうか。
今回の大相撲の一連の騒動が、「伝統は何のためにあるのか」をもう一度考える機会になると良いですね。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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